カオスから薄明へ

入院生活のサマリー(2): 12月31日〜2月3日: 年賀状で鬱が悪化 / 主治医との対話 / 隣人の死 / 夫がアルコールに...


お正月を前に多数の入院患者さんたちが退院して行った。また年末年 始、外泊して自宅で過ごす人も多い。

むろん私も家で家族とお正月を過ごしたい。が、家に帰ることに不安も感 じる。家にいるとなぜか理由もなく不安感がおそって来る。病院の完全に世間 から隔絶された環境のほうが安心できるのだ。

結局12月31日から1月2日まで外泊し、3日に病院に戻ることにする。

短い自宅でのお正月は、楽しくはあったが、やはり何かに追いたてられる ような不安があって寛げない。おまけに年賀状という本来ならもらって嬉しい もののためにかえって鬱がひどくなる。

職場関係の年賀状に、まさに私がマネジメントに失敗し、自分もまた精神 が崩壊してしまった仕事に関して「頑張りましょう」という一筆が加わったも のが来た。下さった本人は根っからの善人であり、全く悪気はないということ はわかっている。しかし、この一筆はこたえた。ずーんと重い石を膝の上に置 かれ、頭の上からも何かで押さえつけられているような感覚がして、動けなく なってしまった。

逆にこちらから年賀状を迷惑をかけている同僚たちに出そうと思うが、言 葉につまってしまって、全く書けない。ドイツ語教室の同僚たちは私の分も授 業や雑用をやってくれているのだ。それを思うと安穏と病院のベットで寝てい る自分に嫌悪を感じてしまう。結局年賀状は出せなかった。

さて、夫に異常を感じたのはこの頃だ。週末外泊をして家の中を見ると私 が買いおきしていたかなりの量のアルコールが全くない。夫は桂花酒とか紹興 酒などは飲まない。日本酒も全くだめである。にもかかわらず、それらのお酒 が全くない。それどころか、薬酒を作るためにこれまたたくさん買っておいた ホワイトリカーもない。アロマセラピー用品を洗うためのクオリティーの低い、 しかしアルコール度の高いリカー類もない。

一体何があったんだろう? そこで夫を問い詰める。

夫は簡単に白状した。彼がお酒をぜんぶ飲んでしまったと。それどころか、 自分でも焼酎を買って来て、毎晩飲んだくれていたという。病院から朝家に電 話を入れるとどうもボケた声で彼が出てきた理由がわかった。アルコールに依 存していたのだ。理由は「寂しかったから。」

全く泣ける話である。普段は私がいるとうるさそうにしているのに、やは りいないと精神的に辛いのか。食事のほうは何とか自分で作ったり、私の実家 で食べたり、困っていないようだったので、他の点でもどうにか独身生活がで きているとばかり思っていた。

さらにけしからんことに、夫がメーリングリストにどっぷりハマっている。 投稿の数だけでも尋常ではなかったが、そのタイムスタンプがさらに異常だっ た。午前2時、3時というのが多い。何故なんだ!

結局、彼は私がいない孤独をインターネットと酒で紛らわそうとしていたのだ。

正直言って私は参った。今退院することはできない。また、夫がこのよう に昼夜逆転生活をしていたのでは、私も生活リズムが狂ってしまう。

夫を何とかしなければ、私は家に戻れない。しかし家に私がいないと夫が 壊れてゆく。どうしたらいいんだろう。

そこで思いついた妙案: 夫も私の主治医の Dr. K に治療してもらおう!

さっそくK. 先生にこの話をして、私はこのままでは家に帰れないこと、し かし私がいないと夫が破綻しそうなことを説明し、助けを乞う。

夫は外来患者として通院することになり、まずお酒をやめるかわりに、お 酒を飲んだ時と同じようないい気分になる薬(抗不安剤。夫も私も現在に至る まで服用中)を処方してもらう。そして不規則な生活がいかに健康を害するか、 コンピュータ関連の仕事をやっている人はどのような危険性にさらされている かを説明してもらう。夫もまた病院なみではないにしても、規則正しい「おて んと様」に同期した生活をするよう指導していただく。で、ダメ押しに毎朝9 時に私が彼に電話を入れて、ちゃんと起きているか、宿酔していないかチェッ クすることに決めた。

幸い夫はアル中への道をまっしぐらに進むことなく、かなり立ち直ってく れた。夫のアルコール癖に気がつかなかったら、悲惨なことになっていたであ ろう。頑固で人のいうことを聞かない夫をうまく説得して、「落として」くれ た K. 先生に感謝することしきり。さすがに精神科・神経科のプロは人を説得 するのががうまい。

たぶんこの頃からであろう、私が主治医の K. 先生を全面的に信頼するよ うになったのは。もともとK. 先生には、知人を通して紹介してもらったのだ が、その知人もかつては心を病み、意識不明の状態で入院した経験者だったの だ。その彼女がすっかり元気になって復職している姿を見て、この先生ならきっ と助けてくれるだろう、命をお任せしよう、という気になったのである。

入院して最初の一ヶ月は何が何だかわからないまま、ひたすら閉じこもり、 K. 先生の来診時には不安を訴えるだけだったのだが、だんだん自分自身をめ ぐる過去や現在のことがらをつつみ隠しなく話せるようになった。そして本当 に信用できる人に「話す」ことによって自分自身の心を整理し、無意識の闇の 中にあった何かを意識の光のもとに引きだすことによって、ある種の解放を行 うことができたのだ。

看護婦さんでも特別よくわかってくれる人がいて、その看護婦さんにも、病院 生活の日常的な悩みを聞いてもらうようになった。今思いおこせば、神経科の 先生や看護婦さん、それに看護助手の人、掃除のおばさんに至るまで、とても 心やさしき人たちだったと思う。マニュアル通りに物事を進めるのではなく、 臨機応変に対応してくれたことは大変治療上効果があったと思う。

主治医のK.先生には、いろいろ難題をふっかけたり、我儘を言ったが、だ んだんと、説得され、次第に人生観が変わってゆくのであった。「いい子」、「できる人」であろうとせず、できるだけのことをやるしかない。今までの人生ではツッパリすぎていた。当時の断片的日誌にこう書いている:

最近の主治医との面談は絶望に自分自身を慣れさせることのようになっている。

現実の自分を自分として受けいれ、自分を責めすぎない、でも甘えない、 そういう生きかたを模索しようとし始めたのであった。うつ病も「退治してや ろう」と考えず、鬱になりやすい傾向をもともと持ちあわせた自分と上手につ きあう、いわば鬱と共存する方向をめざさねばならないことを理解する。

相変らず本を読んでも何も覚えていないし、書き物もうまくできない。こ の状態がずっと続くのかと思うと死にたくなるが、しかし、少しずつこれも回 復してゆくことを祈り、一気に何とかしようなどと考えないことにする。

1月の中旬のある日、大学で教室主任に会って諸々の手続きをするために 外出許可をもらった。抗不安薬の一番強い頓服を服用して出掛けたが、なかな かうまく話しができないで硬直してしまった。ああ、まだ私はたったこれだけしか 回復していないのね、などとつい思ってしまう。

主任教授に会って帰ったその夜は、普段はひどい不眠で夜通しナースコー ルをしては睡眠薬の追加をしてもらっていたのに、その日に限って熟睡した。

ところがその夜から翌日の朝にかけて隣室の患者さんの容体が悪化し、朝 亡くなったのであった。奥さんが泊まりこみで看病していた姿には悲壮なもの があり、廊下で会うたびに、「本当にご苦労様です。どうかご自身も少しお休 みくださいね」と声をかけていたものだった。

患者さんが亡くなっても病院はきわめて上手に処理をするので、同じ病棟 の人も全く気がつかない。お昼御飯を配布中に清拭をし、最後のお別れをして いることがはっきり私にはわかった。私は一人隣室で手を合わせた。悔やまれ るのは奥様にお悔やみのことばを申しあげる機会を逸してしまったことである。 あの奥様は今どうしておられるだろうか。

入院して2か月が経過し、初めて私は患者と医療スタッフの「ミーティング」 というものに参加した。人と一緒に行動するのに2か月を要したのである。ミー ティングは、患者から病院に対する要望を出したり、翌月の目標を決めたりす る集りである。これも面倒見のとてもいい看護婦さんに誘われてやっと参加で きたのであった。それからしばらくは、週1回の茶話会などにも参加できるよ うになり、ちょっと「閉じこもり」がゆるんで来たのであった。

1月31日から2月2日まで外泊。2月1日が私の誕生日だったので、ささやか なお祝いをしてもらった。

ところで、私と同じように人生の絶頂期に病気をして挫折し、人生観がか わった人の手記に非常に啓発された。とりあえずタイトルをあげておく。

藤原和博 「処生術」 (新潮社)

いずれ、「雑記」のほうにこの本について書くでしょう。


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$Id: hosp2.html,v 1.1 1999/01/06 13:08:07 malte Exp malte $

Author: Kyoko Rikitake <malte@k2r.org>
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