ただ、1998年3月は、そろそろ退院を考える時期でありながら、かなりのト ラブルに見舞われており、精神的にも往きつ戻りつの時期であった。
まず、お茶会のこと。
ようやく対人恐怖がゆるみ、人の集う場所に出られるようになり、また他 の患者さんで困っている人の介助もできるようになった折に、私にとってはい ささか不愉快で、また引き籠り状態に逆戻りするような事件が起きた。職業が バレたのである。
私は入院患者というのは、医療チームから見ればすべて患者は患者であっ て、それ以外の何者でもない、だから精神病院の閉鎖病棟から出てきたばかり の元アル中患者であれ、無職で生活保護を受け、治療も精神疾患関連の特別な 法令によってきわめて小額負担で済んでいる人であれ、大金持ちのご隠居であ れ、社長であれ、大学教授であれ、みんな同じように扱われていたと思う。げ んに看護婦さんも看護助手さんも清掃係の人も、みんな患者を「さん」とか 「ちゃん」づけで呼び、一切区別はしなかった。(私はある看護婦さんに「り きちゃん」と呼ばれていた。:-))また受けられる医療の質にも全く違いはない。
が、患者の意識は必ずしもそうではなかった。
私は表面的にはとても元気なのに普通の患者さんに比べてやたら入院期間 の長い人、でもふつうのおばさんあるいは「ねーちゃん」と見られていたよう だ。ナースステーションに行くと担当医師別に患者の名札がずらりと並んでおり、 たぶん入院した順番に掲示されているのだが、その中で、私は Dr. K の担当 患者ではもうNo.2 の番付に来ていたのだ。(ちなみに、長期滞在 No. 1 は体 の不自由な老婦人であった)。まあ、それほど入院が長くなっていたのだ。
長い入院期間中、次々と患者は入れかわって行く。お互いにプライベート なことを話さないまま終ってしまった人がほとんどだが、退院して外来の世話 になるようになってから、自己紹介をしあったというケースはたくさんある。 入院患者どうしでプライベートな話をしない、というのは暗黙の了解であった ような気がする。
ちょっと話がそれた。で、入院患者との関係なのだが、この時期に私の身 元(職業、既婚、未婚、など)をやたらききたがるおばさま族にテレビのニュー スを見ている時などに声をかけられ、迂闊にもちょっとしたことでシッポを出 してしまったのである。いや、断じて言うつもりはなかったのだが、もののは ずみで、引っかかってしまった。(具体的には書かないでおこう。)
で、その翌日から患者のあるグループが私を見る目がコロリと変わってし まった。敬して遠ざける人、やたら私のステータスについて周囲にしゃべりま くる人、そういうのが病棟のいわゆる「談話族」(談話所に集まって日がな一 日おしゃべりしている人たち。また、お茶会などに集まるメンバー)の大半を 占めてしまったのだ。と言うとちょっと大袈裟。やたら、私の身分について 人にしゃべりまわって煽る分子があらわれたのだ。
それはもう気分の悪いこと、悪いこと。談話所は出入口のすぐそば、かつ ひとつしかない公衆電話のすぐ後にある。電話をかけるにも、病棟を出て本館 の売店に行くにも、そこを通らなければならない。
通るたびに、
「あの人、阪大の(助)教授やて。」
「へえ、頭のええ人でも、こんなとこに入るような病気になるんか。」
といった会話をわざわざ聞こえよがしにやってくれるのだ。もう薬をのみ に並んでも言われるし、洗面所にいてもコソコソ言われるし、おまけに私のこ とをずっと「ねーちゃん」と呼んでいたおっさんまでが、「先生!」と呼ぶよ うになる始末。
これは悪意はないにしても、立派なハラスメントである。私は職場の仕事 で悩み、職場から隔離されるために入院させてもらっていたのである。(くり 返し言うが、うつ病の原因は別に職場だけにあるのではないが。)娑婆のしが らみから解放されることが何よりも治療上重要だったのだ。
ところが、あることから私の職業を嗅ぎつけた人の、たぶん悪意のない噂 話から非常に不快な思いをすることになった。もうお茶会だって行きたくない。 ちょうどお誕生会というのがあって、私も祝っていただける該当者だったのだ が、チラと会場のデイルーム(共同の部屋で、卓球もできるし、テレビもある し、座敷もあってマージャンしたりストレッチ体操したりできる部屋。)を覗 いてみたら、例の連中がいる。一気に欝陶しくなって、逃げ去ってしまった。 そして部屋に篭城。
会の主催者の心理療法士(だと思う。詳しい職名は知らないが、とてもフレ ンドリーな女性)の先生や看護婦さんが誘いに来てくれたにもかかわらず、すっ ぽかした。お誕生会を楽しみにしていたのに。
いつも泣き事を言っては慰めてもらってた看護婦さんが、会の終った後、 パーティーで出たお菓子などを持って来室してくれた。気にしなくていいんだ よ、力武さんが思うほどみんな意識してないよ、言う人は言うけど、そのうち 何ともなくなるよ、と言われて涙が出そうになる。
この件に関し、主治医にさんざん愁訴する。しかし、彼の答えはいたって クールなものだった。
この病棟の入院患者には社長、大学教授、いわゆる著名人というのもけっし て少なくないという。現在もいるという。
過去の経験からして、そういう人が入ってくると多少は騒がれるけれども、 「みんな平等に」という病棟の方針ゆえ、医療スタッフは誰も区別しないし、 患者もそのうちに意識しなくなるという。だから本当はもっと早めにカムアウ トしておいたほうがよかったぐらいなのだ、ということ。
なるほどその通りで、ハラスメントを感じたのはほんの2-3週間の間だけで、 その後はしゃべる人が退院したり、周囲がもう無関心になったりして、また平 和な日が戻ってきた。隠しだてするより、カムアウトするほうが確かに楽だ。
入院中に読んだ、というよりページをめくった本は数知れないが、その中 でも先日タイトルを記した、藤原和博 「処生術」(新潮社) と並んでインパク トの強かったのは、次の本。
「あなたがキレる瞬間」(ニコラス・レグシェ、柏書房)この本には、はっきり言って救いがない。「ストレスが脳を作りかえてしまう」 などという恐ろしいチャプターもあり、読んでいて暗くなってしまった。
実際入院していて、強度のストレス、ことに不安が人間の脳を狂わせるこ とを痛感した。私もその一例であるが、他にも、たくさんの例がある。これま た入院患者さんのプライバシーに関ることなので、人を特定できない範囲でご く抽象的に書くにとどめる。
ある老婦人は、夜中に部屋の鉄のドアをすさまじい勢いて叩き、病棟を恐 怖に陥れたことがある。いや、恐怖に震えていたのは私だけかもしれないが、 翌朝、きのうのすごい物音は何だったの、と言っている人を何人か見かけたの で、実際すごかったのだろう。このおばあさんは、もともと農家の人だが、 「借金取りがやって来る」という妄想があって、それが悪化すると暴れるのだっ た。過去によほど強いストレスがあったに違いない。
看護婦さんが、このおばあさんを連れて、いちいち全部の部屋をまわり、 患者さんを紹介して、「この人は○○さんです。ほら、こわくないでしょう?」 というふうに納得させていた。看護婦さん、大変でしたね。薬も有効だったと 思うが、こういう「こわくない」確認をしたことも、このおばあさんを大人 しくさせたような気がする。
不思議なことに3月も下旬になり、病棟周辺の庭仕事が増えて患者さんで興 味のある人は参加できるようになってから、ガラリとこのおばあさんの病状は 好転した。そもそもお百姓さんであるから、庭仕事は得意中の得意だ。だから、 周囲からも頼りにされる。私も、廊下などで会うと、「ねえ、お庭がずいぶん 綺麗になったわね。朝早くから△△さん、庭いじりやってましたね。どうもあ りがとう。」と声をかけた。
このおばあさんは、自分が頼りにされているという自信、そしてまた自分 が本当に好きなこと(庭作業)をやることにより、精神を回復させたのである。 数週間後、本人とは思えないほど元気になって退院して行った。ちょっと感動 的な出来事であった。
ほかにも、異様なほど私の部屋を自分の部屋と思いこみ、一日に何十回も私の部屋に突入するおばあさんがいて、閉口したが、このおばあさんも、自分の部屋には誰もいなくて、ものも何もないので、不安だったらしい。私の部屋にあまり入ってくるので、
「どうしてこの部屋がいいの?」
ときくと、あっち(自分の部屋)へ行っても誰もいない、誰が自分の面倒を 見てくれるのや。他の人はみんな一緒やのに、なんで自分だけが一人の部屋に おらないかんのや、というのだった。
なるほど。寂しいのね。で、ロビーの談話所のほうに連れていって皆と一 緒にいてもらうようにしたが、しかし、どうしても私の部屋を自分の部屋と思 いこんでいて、どうしようもないと判断され、副婦長権限で、私は引越しをさ せていただくことになった。新しい部屋は同じ個室でも電動ベットがあり、さ らに快適だった。
この話は前項に付け加えるだけのものだが、前項が長くなりすぎたので、 話を分割する。
神経科病棟に入院している人には全く健常者としか思えない明るい、元気 な人がけっこうたくさんいる。そういう人がたまにナースステーションで抗不 安剤の頓服をもらっているのを見ると、ああ、やっぱり不安があるんだな、と 納得する。
そういうメンバーがお茶会に集まった時、「笑い」というテーマで話が進んだ。
その時、「明るい、元気な」人たちが、
僕はこの病院に入院してはじめて笑うということを覚えました。と発言したのでびっくりした。すると、「僕も」、「私も」という人が続き、 いかに社会生活においてストレスを受けていた人が多いか痛感した。
私などは、「作り笑い」、「お愛想笑い」が変に身についてしまっていた ので、さすがに「入院してはじめて笑うことを覚えた」わけではないが、彼ら の気持が理解できるような気がした。
3月も下旬に入り、そろそろ退院の話が出てくるようになった。これ以上 病院の保護された環境に居続けると、「甘え」が生じて、今度はかえって社会 復帰の妨げになる、という主治医の見解もあり、4月4日頃、つまり内科の検査 がすべて終了して結果を確認した日に退院という取り決めをした。
ところが、どっこい。そううまい具合には体は回復してくれない。
三月下旬になって、また膵炎ではないかと 思われる症状があらわれる。激烈な胃と背中の痛みと発熱があり、食事を 摂ることは不可能。さらに一日20回を超える下痢。
不思議なことに「死にそう!」と思うほどの症状は、たいてい主治医が不在 の時に発現する。前回も主治医が外来診察で午後2時とか3時まで病棟に来られ ないことがわかっていた時に発現した。今回は、主治医が不在時であった。前 回応急の痛みどめを処方してもらってあったので、ナースコールをしてその頓 服をもらった。
翌日の金曜になってもまだ痛みは続き、頓服を続けてもらっていた。この 日もまた主治医の外来担当日であり、夕方近くならないと私のところには回診 には来られない。
しかし、金曜の午後になり、「もうすぐ主治医に来てもらえる」と思った ころから痛みは静かにひき始めた。今回もすぐに血液検査が行なわれ、またし てもアミラーゼ値が異常だったが、他の検査値(炎症反応など)がすべて正常で あったことから、膵炎の可能性はきわめて低いと判断された。
安心とはまことに不可思議なものであり、診察を受けて「大丈夫」という お言葉をいただくや、症状が軽快するのだ。「手かざし」はインチキだという 人もいるが、案外その手の療法には根拠もあり、効果もあるのではないかと想 像する。
1998年3月もまた、心身の不調を抱えつつも、いくつかの発見と認識を得つつ 過ぎて行った。内科の検査結果次第では、間もなく退院である。
当時の日誌からそのまま引用する。
いよいよ4か月をすごした病棟を離れる(望むらくは)日が近くなり、ある種の 感慨にひたっている。
患者さんとはあまり親しくしないようにしていたが、それでもまた退院後 もお訪ねしたい人もたくさんいるし、逆に退院してからもずっと外来受診時に 病棟へ遊びにくる人が多い。何か同窓会みたいな雰囲気があって、一種 の連帯を感じさせる。
あと、看護婦さんやお医者さん、それに掃除や看護助手のおばさんには特 別な思いがある。どの人も実に誠実に対処してくれた。私も入院回数は少なく ないが、これほど手あつく扱われた経験はない。もちろんどの患者さんに対し ても同じく公平にだった。心の病気を扱う病棟ゆえ、患者の精神状態に対する 配慮は特別なものだった。そういえば心理療法士(あの恐怖のロールシャッハ テストをやらせた人)とも、よく話をしたし、いろんなことを教わった。
心の世界の不思議、脳の謎、こういう話題は主治医とよく話した。主治医 は、「自然治癒能力」に非常に重きを置いている人なので、風邪ぐらいでは (インフルエンザとか肺炎でない限り)薬をくれない。腹痛もたいていだめ。食 べられない、眠れないという状態に陥るほどひどい痛みや熱でもない限り薬は 一切くれない。私のように「まだ若い」人が、 自ら自然治癒能力を自らに失うようなことを好んでやってはいけないと、大変 厳しい考えであり、最初はかなりの反発を感じたが、ようやく真意がわかって来 た。
脳の老化の話とか、病院で死ぬことの是非とか、ずいぶんいろんな、本に は書いていないことについても話しあいに応じてもらった。あまりにも主治医 にはに時間外労働をさせてしまったという気がして申し訳ない。
何人かの看護婦さんとは、医療をめぐる貴重な話あいができた。柳田邦男 がきいたら本に書きそうな話を。
退院してヒマになったら、療養日記に続き、学んだこと、考えたこと、ま さに私の人生観を変えた事々についてポツポツと書きつらねてみようと思う。 今日はこんな具合だった、今日はあれをした、これをした、という記録もいい が、もうちょっと概念的な話が書ければ、と思う。また、そういう話が書ける ようになってはじめて、私も精神能力を回復しつつあることが証明されよう。
この4ヶ月、私の人生にとっては貴重なものだった。休息と思考の機会を与 えられたことに感謝したい。もちろん苦労して家事をやり、かつ見舞いもして くれた夫や、いろんな面で力になってくれた実家の家族にも。お見舞い下さっ たり、お便りくださったり、心の中だけでも快癒を願ってくださった方々に感 謝していることは言うまでもない。(また、一切接触しない、ということによっ て職場のストレスから解放してくれた同僚にも深く感謝。)
とはいえ、まだ終ったわけではない。退院はゴールではなくはじまりなの だ。これからが自分で自分を克服してゆくべき修羅場の時期なのだ。
Author: Kyoko Rikitake
<malte@k2r.org>
Copyright © 1999 by Kyoko Rikitake. All Rights Reserved.