カオスから薄明へ

入院生活のサマリー(5):3月29日〜4月11日

花見の季節 / 内科検査 / 家族の事故にショックを受け退院再延期


この年は山里にも例年より少し早く春が訪れ、病院の庭にも、近くのお寺 や神社にも、梅や桜が美しく咲き乱れた。長い冬を人里離れた病院で過ごした 私は、今まさにほころびんとすると蕾を見てはその生命に感動し、咲き誇るし だれ桜のもとで花に酔った。夕方には病院の外灯に桜の花が照らされ、幻想的 な趣をなしている。ああ、もうすぐ春だ。心も春を迎えようとしている。

花見の季節 / 内科検査

花見の季節、病棟でも4月6日にお花見の遠足があるので、それに参加して から内科で検査結果をきいて、8日に退院ということに決った。月末に体調を 少し崩していたこともあり、退院予定日は4月4日から8日に変更になった。

3月から4月上旬にかけて胃カメラ、腹部CT、腹部エコーなど数々の検査が 行われ、結果を8日にきいた。

背中と胃の激痛ゆえに疑われていた膵炎はなく、ひとまず安心。胃カメラ 検査では、胃壁に一部隆起している部分があるので、組織をちょっとだけ切り 取って生検に出してあった。実際の検査から結果まで一ヶ月も待たされて、こ の間毎日「胃癌だったらどうしよう」と思いわずらっていたが、胃炎を繰り返 した形跡にすぎないとわかってやっと安心できた。

しかし、予想外だったのは腎臓結石があるという所見と、もうひとつ「脂肪肝」。

酒呑みではないし、大食しているわけでもないのになぜ脂肪肝? これはき ちんと内科で説明を受けた。

実を言うと、私は神経科の治療を受け始めてからこの時期に至るまでに最 大15キロ体重が増えていたのである。ひとつには運動不足が原因として考えら れるが、とても人間とは思えないほど痩せ細っていた私にとっては、ちょうど ぐらいの体重になったのであった。これは抗鬱剤の効果である。(人によって は効果というより副作用になってしまうらしいが。)

食欲も出て、きちんと朝も食事をするようになって、ずいぶん健康な体に なったのである。ところが急に太ると肝臓に脂肪の粒のようなものがたくさん 出来て、検査時に「脂肪肝」という所見が出てしまうそうだ。

内科的にも異常はほとんどなく、心のほうももはや隔離・保護をしなけれ ばならない状態でなくなり、いよいよ退院の運びとなり、膨大な荷物をまとめ 始めた。

家族の事故にショックを受け退院再延期

ところが、退院直前になって私にとっては晴天の霹靂とでも言うべき事故が起きる。

4月4日、ちょうど週末外泊していた折、実家の祖母(当時85歳)が自宅で転 倒し、背骨を折ったという連絡が入った。

救急車で川西の病院に運ばれたというのだが、何しろ救急で、まだ状況が はっきりしないので、その日は事態を静観することにした。

翌5日、病院に駆けつけた。が、日曜なのでまだ本格的な検査もできないか ら診断については明日まで待ってほしいということ。祖母の入院手続きや必要 な物資の調達に奔走する。入院している私が、別の病院に入院している祖母の 身元保証人になるのだから何とも奇妙な話だ。

本来ならこの日、外泊を終えて病院に私はもどらなくてはならなかったの である。それも午後5時までに。しかし、祖母をこのままにしておけないので、 病院に連絡を取り、月曜まで外泊延期をお願いする。

しかし、病院の規則は当然のことながら厳しい。外泊延長には主治医の許 可が必要な上、代理人がその期間の薬をナースステーションまで取りに行かな くてはならない。あいにくの日曜、どうなるかと思ったが、看護婦さんが主治 医の自宅にまで電話を入れて許可を取ってくださった。(しかし、日曜まで病 院から自宅に電話を入れられた主治医は本当に気の毒だ。申し訳ないことをし たと思う。)薬は夫に取りに行ってもらった。生憎私の入院先病院は祖母の入院 している川西からは恐ろしく遠い。夫も大変であった。

翌6日(月曜)、祖母の主治医に説明をきく。胸椎圧迫骨折らしい。とにかく 安静が必要ということ。看護婦さんが食事を食べさせようとしても一口も食べ ない。仕方がないので、私がゆっくり時間をかけてスプーンを口に運ぶ。幸い、 入院先の病院で、看護婦さんや助手さんが体の不自由な人にごはんを食べさせ るのをしょっちゅう見ていたので、要領がわかった。

その日の夜8時過ぎ、すでに門限を過ぎてから私は病院に戻った。家に帰っ てもよかったのだが、家だと余計なことを考えてしまう。そこで時間は遅くて も病院に戻ることにした。そして即睡眠薬をもらって、そのまま寝倒れた。

翌日(7日)は、さすがにショックと介護疲れでひどい状態になってしまった。 充分眠っているはずなのに、朝どうしても起きたくない。起床拒否。これは 「うつ」の症状だ。体も動かず、食欲もなくぐったりとして過ごす。午後夫が 来てくれたが、ほとんど会話もせずウトウトしていた。そこへ主治医の来診で ある。

日頃から主治医の Dr. K. は「顔」を診断のひとつのポイントにしておら れて、だいたいの調子は顔を見ればわかる、とおっしゃっていたのだが、この 日は、ベットで鬱々としてほとんど眠った状態の私を見て、

退院、少しだけ延しましょう。体のリズムが戻るまで数日間延期しょうか。
というわけで、退院は4月12日に延期。幸い数日の休養で心身ともにかなり回復し、 どうにか退院にこぎつけたのである。

振り返れば、4か月以上も滞在していると、自分なりのミクロコスモスがで きあがってしまい、病院とはいえ快適に感じてしまう。本も音楽も好きな時に 存分に楽しめる。部屋もかなり工夫して最適化してしまった(たとえば布団は 羽毛とか、シーツも白じゃなく、ピンクやブルーとか。もっとも、布団などは 許可がないと自分のものを持ちこめない。)ので非常に居心地がよい。

医療スタッフとも大変よく心が通じるようになった。できることなら、こ のままでいたいほどだ。

しかしここに「安住」してはいけない。このような保護された環境に安住 すればするほど、ますます社会復帰が困難になる。今が出てゆく潮時なのだ。

そう思いつつ、名残を惜しみながら、病院での最後の夜を過ごす。


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$Id: hosp5.html,v 1.1 1999/01/16 12:14:03 malte Exp malte $

Author: Kyoko Rikitake <malte@k2r.org>
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