Rekonvaleszenz 自宅療養記

1998年5月: 好調と不調の繰り返し / 不眠 or 一日中ハングオーバー / やはり文章が書けない / 精神科・神経科をめぐる偏見 / この頃うつ状態に陥 る理由


好調と不調の繰り返し / 不眠 or 一日中ハングオーバー / やはり文章が書けない

1998年5月は好天の日に恵まれたが、しかしとても5月とは思えないほど 暑い(気温が30度を超える日)があり、そろそろ開始していた散歩が苦痛になっ て来た。隣町に公園があり、一周300メートルのジョギングコースがあるので、 そこをゆっくり歩くようにしていたのだが、さすがに暑さで疲労がひどく、と うとう風邪をひいて寝こんでしまった。それだけでなく、また入院中同様の背 中と腹部の痛みに悩まされた。

あいかわらず不眠(というより(自律神経失調)は酷く、夜中に何度も睡眠剤 を追加服用する日が続いた。不眠も辛いが、じっくり眠れるほど薬を服用する と翌日の夕方までハングオーバーで眠くてだるくて何もできない。下手をする と昼や夕方に2-3時間も眠ってしまう。昼に寝るとますます夜眠れない。また しても悪循環の繰り返しである。

調子の良い日には、公園まで出かけて、花や樹を眺めて過ごした。まるで 定年退職者のような生活。調子の悪い時は、偏頭痛にはじまり不定愁訴は何で もありの状態で、体は動かないし、精神状態もどん底まで落ちてしまうので地 獄である。

快気祝いを各所に送り、それに手紙を添えようと思うのだが、どうしても うまく書けない。いや、調子の良い日ですらうまく手紙が書けないのである。 メールも書けない。書けないのは、(特に同僚には)迷惑をかけているという良 心の苛責のせいかもしれないが、やはりそれだけではない。きちんと文章をま とめようとすると、頭が作業を拒否してしまう。うつ病になって最初に失った のは体力だが、同じくらい早い段階で衰えたのが言語能力である。論文を3年 連続で出せなかった。そんなことは以前の私には考えられないことだったのに。 また、「コラム」など肩の凝らない駄文すらも書くのが億劫になってしまった。

家事能力などは比較的早く回復したが、どうしても集中力を必要とする文 章書きの能力が戻って来ないのである。

精神科・神経科をめぐる偏見

さて、通院であるが、だいたい病院の慣例によると、特別注意の必要な患 者さん以外は、退院して2回か3回だけ毎週通院し、それが過ぎると2週間に一 回の通院となる。さらに人によっては2週間に一回の通院だが、一回は診察、2 回目は薬だけ(診察なし)、つまり月一回だけの診察になる。

私の場合、別に「特別に注意の必要な」患者ではないのだが、「ほうって おくと閉じ籠るから」ということで、毎週通院することになった。これは主治 医のご好意によるものである。毎週通院しているといろんな人に会う。病棟の 看護婦さんやお掃除のおばさん、看護助手さん、そして元入院患者の方々。

元入院患者だった人の中には見違えるほど元気になった人もいる、入院時、 歩けもせず、食べることもできず、暴れたり、叫んだりしていた人が、もう全 くの健常者となっているのだ。これには驚いた。強烈な精神的ショックで精神、 肉体ともに破綻した人でも、ケロリとしているので、「ホントに、あの時の○ ○さんなのぉ?」とご本人にきいたほどである。

しかし私の場合は4年以上かけて慢性的に進行した鬱病だったせいか、そう 簡単には治らない。薬も減らせないし、診察時はたいて不定愁訴を繰り返して いる。どうやら、急性の病気で、症状がひどかった人よりも、慢性に病気が進 行してしまった私のようなケースのほうが回復が遅いらしい。私はいつ社会復 帰できるのだろう、と不安になる。

ところで、世間の精神疾患に対する理解度というのはどの程度のものであろうか。

「うつ病」であることをカムアウトすることは果たして賢明なのか、それ とも自律神経失調です、と逃げておくのがいいのか、どうもわからない。私の 場合、職場には病名を明かにした。(後に休職手続きの際、その診断名は所属 部署全体の教授会において公開され、休職の審議が行なわれ、そしてさらに診 断書が本部送りになり、総長により許可されたのである。)

復職したら職場の同僚はどんな態度で私に接するのであろうか。精神を病 んだことは事実なのだ。

そんなことを考えていたある日、病院の外来でちょっとした「事件」があった。

ある年配のご婦人が旦那さんと来診していた。どちらが具合が悪いのかよ くわからないが、突然奥さんのほうが大声をあげ始めた。さらにドタンバタン と暴れる音。外来受付に看護婦さんが慌てて鍵をかけた。まあ、いろんなこと を叫んでいたのだが、詳しくは書けない。ひとつだけ印象的だったセリフを記 すにとどめる。

「こんなところに入ったら、一生、二度と出て来られへん。助けてぇ!」
どうやら入院をすすめられたらしい。

私はその時思った。精神科・神経科というのは、いまだにそういうふうにしか 世間に認識されていないのか、と。

確かに閉鎖病棟があって、鉄条網や鉄格子のあるホンモノの精神病院(東京 のある有名な精神病院を見たことがあるが、そんな感じだった。)は何となく 不安をかきたてる。

しかし我々のかかっている病院は、開放病棟の、自由に出入りできる普通 の病院の一病棟にすぎないのだ。時に「保護」を必要とする重い精神病疾患の 人は入れてもらえないようだ。だいたい外来に来ている人を見てもほとんど普 通の人ばかりだ。それなのに、上記のセリフである。

AERAなどの記事によると「駅前クリニック」とか何とかメンタルクリニッ クという看板のオシャレで快適なイメージの精神科が特に若い患者でにぎわっ ているらしいが、それでも世間の認識はかくも事実をねじ曲げたものなのだろ うか。「○○メンタルクリニック」が「普通」で、△△精神科、とか◇◇神経 科というのは「怖い」ところなのだろうか。カタカナの看板で、サロン風の 待合い室があれば「怖く」ないのだろうか。この辺、非常に不思議に思う。

あと、「心療内科」という表現なら行きやすいのだろうか。(私は、心療内 科は、必ずしも精神・神経科とは同じでないと理解している。)

この頃うつ状態に陥る理由

さて10月職場復帰をめざしながらも、好不調の波があり、調子の悪い時は 鬱のどん底に陥る状態だったわけだが、私が鬱に陥るにはある程度理由がある ように思えた。

ひとつには、退院して1か月以上たっても、あいかわらず不眠に悩まされ、 生活を定型化できないことが不安の原因だった。そしてもうひとつ、研究者と してもはややって行けないのではないかという不安が脳裏を去らないのだった。

自分がまさにやっている研究(コンピュータネットワークの社会に及ぼす影 響---コンピュータ教育を含む---というテーマ)の関連分野(マルチメディア教 育)での挫折が一因となって鬱病が顕在化したと言える。しかし10月に復帰す れば、大学院でこの問題について講義せねばならぬ。が、日進月歩いや、秒速 いくらで進んでいるコンピュータ技術やそれに伴う社会現象からこの半年ばか りすっかり疎くなってしまっているので、本当に講義を担当できるのか、また 今後やってゆけるのかという不安があって、それがひどく心を嘖むのだ。

その上、コンピュータばっかりやっていた時期に、本来の専門(19世紀ドイ ツ文学)からも疎くなってしまった。これではどっちも駄目になったも同然で ある。

そういうウダウダした悩みを主治医に話してみた。

主治医は気が早すぎる、悩みを先取りすることもなかろう、と仰る。

まずは少し学校へ行くようになって、職場に慣れてから何をやるか考えた らよい。研究など、どうせ興味のないものはできない。何事かに興味を持っ て執拗に追及したくなるまで待ったら良いのではないか、まだそんな問題を云々 するのは、時期尚早、との由。

確かにそうだが、やはり気になる。

「私は研究者として、教育者としてやって行けるのだろうか?」


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Author: Kyoko Rikitake <malte@k2r.org>
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