Rekonvaleszenz 自宅療養記

1998年6月: 病人が病人を看病する / はじめて「阪大坂」をひとりで歩く / はじめて電車に立って乗る / マイナス思考


病人が病人を看病する

1998年5月はまるで夏のように暑い日が多く、散歩に行くと暑さでクタク タになってしまったのだが、6月になって「梅雨」入りするかと思っていたの に、ほとんど雨は降らず、やたら暑い日が続いた。散歩道の紫陽花たちの大半 は花をつけることなく枯れてしまったのが残念であった。

6月は、祖母の世話(祖母は病院に入っている間についでに白内障の手術を 受けることになった。)で、しょっちゅう外出しなければならず、炎天の日が 続く中、川西市の病院までしばしば足を運んだ、と言いたいところだが、あま り歩けず、タクシーを使いまくった。

その上、私自身、少し動悸が激しいとか、冷汗のようなものをかくという 症状があって、ホルター心電図検査をはじめ、多数の検査を受けなくてはなら なかった。

風邪の症状と不眠はあいかわらず続いており、いったいいつになったら、 正常な体に戻れるのか希望が持てない状態であった。しかし、祖母の介護はと にかくしなくてはならないので、かなり無理をして出掛けた。

はじめて「阪大坂」をひとりで歩く / はじめて電車に立って乗る

心身の回復度を示す出来事を少しあげてみよう。

療養日誌によると、6月23日、

退院後はじめて「阪大坂」を一人で歩く
とある。状況の説明をしておくと、我が家から阪急の駅に出るためには、一本 しか通る道がない。その道は阪大の通学路なのである。その「阪大坂」を通ら なければ、駅に出ることも商店街に出ることもできない。退院後2か月以上も その坂を通っていなかったのである。

理由ははっきりしないが、なぜか不安感が強くて、その道を通れなかっ た。職場の同僚に会うかもしれない、学生さんに会うかもしれない、そうした ら今の状況をどう説明したらいいのか、という不安があって、どうしてもその 道を通れなかったのである。別に何も悪いことをしているわけでもないのに。

職場の人々に会いたくなかった理由は、一見私がすでに完全に健康に見え たからである。が、実際はまだうつ病がようやく回復しかけた段階で、不眠も 不安も、ほとんど良くなっていないし、思考力も戻っていなかったのである。 外見だけ健康に見えても実際にはまだ心は病気、ということを人は誰も理解て くれないに違いないと思いこんでいたのだ。(いや、今でもそう思っている。)

だから、6月23日に阪大坂を一人で歩けたのは、とてつもない進歩だったの である。つまらないことに感動するなあ、と笑われるかもしれないが、心に傷 を負うと、他人には理解を超えた恐怖や不安を抱くものなのだ。もっともこの 日は大量の抗不安剤を服用していたが。

もうひとつ進歩を裏付けてくれた出来事は、病院からの帰り、十三(じゅう そう)から豊中まで約10分余りの距離を、電車で「立ちんぼ」できたことである。

これまた笑われそうなあたり前のことに思われるが、それまでは電車に一 駅たりとも立って乗っていられなかったのである。体が辛くて倒れそうだっ たのだ。その上、電車で誰かに会わないか不安だったのだ。

くどいようだが、私のうつ病の原因は複雑で、何も職場での私の立場や仕 事のみに問題があったのではない。もっと深く複合的な疲労や思考の混乱があっ て発病したのである。が、直接的には、げんに職場から「休み」を長期にわたっ て取っているのである。一見元気そうな私としては、どうしても人に会いたく なかったのである。この感情そのものがすでに病的なものであったと思うが。

「阪大坂」を下りられたこと、電車に10分余り立っていられたこと、それ は私の心身の回復を示すひとつの指標でもあったのだ。

それともうひとつ。6月は菖蒲の季節。近所の公園の菖蒲が見事に咲いた。 散歩していると絵を描いている人、子供たちと写真を撮りあっている親子など いろんな人が菖蒲園で花を愛でていた。

おかあさんと子供2人が写真の撮りっこをしているところを通りがかった時、 ごくごく自然に、

「あの、3人一緒に撮ってさしあげましょうか」
という言葉が口をついて出て、シャッターを切ってあげたのである。こんなお せっかいなど、今までの人生でしたことのない私である。すさんだ心が少し 回復してきたかな、と自分で思ったのであった。

マイナス思考

通院では、いつもいつも愚痴を言ってばかりいた。とにかく体が思うよう に回復しないから苛立ちは尋常ではない。

そういう折、何冊か啓発される本を手にした。

斉藤茂太「こころの手入れの上手い人、下手な人」(青春出版社) をざっと読んだ。そして私には「マイナス思考」が強い傾向があると実感する。

例えば、退院以来風邪の症状が2か月も続いているし、その他にも体調の悪い時が多い。 ある夜。喘息発作に近い激しい咳で目が覚めた。

そういう時、一気に私の思考は飛躍する。半年療養しても体が元の機能を 取り戻せないのならば、あと3ヶ月の休暇で職場に復帰することなど、とても 不可能だ、できることなら体がもう少し良くなるまで休暇がほしい。しかし、 これ以上休むと同僚に迷惑をかけすぎ、ついには辞職せざるを得なくなるかも しれない、すると私のような職業の場合、一旦辞めてしまうと、この年齢では もう再就職できない。うつの期間3年間、論文を落としている。それにうつ病 という精神疾患をわずらったということは、狭い学会ではすぐに知れわたり、 どこも雇ってはくれない。すると私は親を扶養できなくなり、夫との今の生活 も崩壊する......まだまだマイナスの思考は続く。

これは単なる一例である。いつも私は物事を悲観的なほうにばかり解釈す るのである。そして一人でこういうことを思いつめると、本当に死にたくなる。

だから、私はそれを言葉で表現する。夫に言うこともある。一番私の この思考傾向で面倒をかけているのは神経科の主治医である。彼にはひとつひ とつ自分の不安を「筋道をたてて」話す。(自分では理屈の上で正しいと思っ ているから。)

それは、けっして相手に自分の論理の正しさ、つまり自分がいずれ破滅す るという信念(?)を認めてもらいたいからではない。全く逆だ。実は、マイナ ス思考の曲がりくねった論理と変な帰結をすっぱりと「否定」されることを望 んでいるのだ。

神経科外来は主として投薬による治療の場であり、カウンセリングの場で はないので、あまり長く話すのは気がひけるのだが、切羽詰って来ると私はこ ういう話を延々としてしまう。

そういう場合、主治医は私に最後までしゃべらせておいてから、実に私の マイナス論理をうまく、さりげなく否定してしまう。理屈屋の屁理屈をうまく かわしてしまう。そして何となくそれで話がおさまってしまう。

もうこの時期だと月一回の診察であるはずだったが、私はかくして毎週、 お医者さまに屁理屈と不定愁訴をするためにせっせと病院に通うのであった。

まだほかにも「過労自殺」という本について書きたいが、この章はこの辺 にしておく。ただ、この本によると、過労が原因で自殺する人の大半は鬱病な どの精神疾患をかかえておりながら、しかるべき治療を受けなかったがために 自殺という不幸な結果に終わっているということだけを記しておこう。


$Id: zuhaus3.html,v 1.1 1999/01/28 12:14:36 malte Exp malte $

Author: Kyoko Rikitake <malte@k2r.org>
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