Rekonvaleszenz 自宅療養記

1998年8月: 突然襲って来た強い「希死念慮」 / 神経科緊急受診 / 復職を延期し、病気休暇から「休職」へ


突然襲って来た強い「希死念慮」

1998念8月も暑さで体力を消耗し、しかも夏風邪がどうしても抜けず、体 調は最悪であった。散歩にも出られないほど鬱のひどい日は、一日寝ているか ぼんやりしているしかない。祖母の見舞いと世話でかなり疲れていたらしく、 家にいる日はほとんど「うつ状態」であった。

そこへ突然今まで感じたことのないような強い「希死念慮」(自殺願望)が 襲って来た。もうこんな調子では社会に復帰はできない。復帰できないなら私に は何の価値もない。周囲にも迷惑をかけるばかりだ。こんなことならば死にた い。以前から少しくすぶっていたそういう気持が一気に心の中で燃えあがり、 死にたくてどうしようもなくなってしまったのだ。しかし、高力価の抗不安剤 で、その場はとにかく逃げ切り、すぐ神経科に電話をかけて、緊急受診した いむね主治医に伝えていただいた。そして本来は主治医の外来担当日でない (翌日の)土曜日にゆっくり話をきいていただくことになった。

神経科緊急受診

ゆっくりと時間をかけて主治医に、自分自身が心身ともに不安定で復職し てもやって行けない気がすること、いまだに使いなれないコンピュータシステ ムに対するひどい恐怖感があることなどを話し、結論を出す。

私: 「あと半年休んで、1999年4月の新学期からでどうでしょうか?」

主治医: 「いや、それではたぶん五十歩百歩でしょう。」

という会話の後、体質の改善、体力の回復、精神の安定をめざして、さらに休 職期間を延長することに決定。しかし、公務員といえども、いつまでも休職し ていられるわけではないので、大学側とも相談することにした。

帰宅後、放心状態になるが、どうにか希死念慮を追いはらうことができた。

大学のほうには夫から交渉してもらい、とりあえず病休は1998年で終了し、 1999年の1月より「休職」扱いとなる。(後に)諸手続きの結果とりあえず半年 間の延長を申請し、1999年6月まで「休職」あつかいにしてもらった。

さすがにこの時期は「音楽療法」どころでなく、ピアノに向うことは不可 能であった。

偏頭痛、発熱、下痢の繰り返しの毎日だったが、さらに嘔吐が加わり、つ いに近くの病院の救急に飛びこむこむはめになり、そこで「入院」を勧告され た。

食べても吐くか下痢するかしかないのだから、入院して持続的に点滴で水 分を補わないといけない、ということだったが、とにかく私は神経科にもかかっ ているので、そちらの病院で相談しますと言って、別の病院に入院することだ けは免れた。


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Author: Kyoko Rikitake <malte@k2r.org>
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