9月上旬、ちょっと頼まれた原稿(神戸のオーケストラのプログラムに載せ る文章)があって、2日ほどコンピュータに向って書き物をした。
その時、私はある事実に非常に大きなショックを受けた。ちょっと考え事 をしたり、文章をまとめたりしようとすると、頭が破裂しそうになって、睡眠 薬を服用しても、夜一睡もできないのである。
一体どうしたのだろう? かつては論文を書いている時など一日12時間はそ うやってパソコンに噛りついていたし、寝る直前まで考え事をしていたのに。
慌てて主治医に報告。
Dr. K. いわく、鬱が治ることと頭を使うことができるようになるのはま た別の話だと。
つまり、鬱病そのものは回復していても、体力とか精神の能力はそう簡単に 回復しないのである。そうか、だからこそ、「少しずつ、段階的に社会復帰」 する必要があるのか。会社員の場合だと、最初は会社に行くだけのところから 始め、徐々に仕事に慣れてゆくようにするそうだ。
要するに鬱病からの復帰というのは、果てしなく長い道程なのだ。ああ、 体さえ元気になれば、元の私に戻ると思っていたのに、何と酷なことか。考え たり、文章を書くのは私の仕事である。それが出来ないなんて、もう本当に死 んだほうがまし...おっと、「死ぬ」ことは絶対にとってはいけないオプショ ンなのだった。
うつうつとするが、しかしちょっと元気も戻ってきたところで、音楽のほうに 気持を集中させる。
再び突然のトラブル発生である。
祖母の介護に明け暮れていた母が、原因不明の発熱と腹痛、下痢そして脱 水症状で祖母が以前入院していた病院に緊急入院することになった。「急性胃 腸炎」と診断されたが、本当のところはよくわからない状態だった。私自身す でに睡眠薬を服用していなければならない時刻に病院に駆けつけ、入院の手続 きや当面必要なものの調達をする。9月3日の夜のことだ。帰宅したのは午前零 時をまわっていた。すぐに睡眠薬を倍の量服用して倒れるように眠る。
翌日からは病院にいる母の見舞いと、その病院から徒歩5分ほどの距離にあ る老人保健施設にいる祖母の世話というダブル介護でほとんど体力の限界を感 じた。よくやれたものだと思う。母は結局1か月ちょっと入院し、10月にはいっ てから戻って来たが、どうやら以前服用していた抗鬱剤の服用をやめたことが 主たる原因で、それに祖母の介護による疲れと、祖母が施設に入ってひとりっ きりになってしまった孤独とが重なって、神経症状を起こしたらしい。
内科だけでは解決できそうになかったので、神経科のほう(私の主治医に彼 女もお世話になっていた)に相談して、抗鬱剤などを出してもらう。入院して いる彼女のところへ、私が毎回神経科のほうの薬を届けることになった。
この時期は、看病の合間をぬって神戸に何度か行き、いよいよ本番の迫っ ているバイオリニストの練習のお相手もした。音楽は楽しかったが、やはり体 が疲れているせいか、翌日は寝こんでいた。
そろそろ私の疲れとフラストも頂点に達した。母と祖母を見舞って帰宅す る途中に阪急百貨店がある。夕食の食材を買って帰るのが常だったが、どうい うわけか異常に「買物」の衝動が強くなり、手当たり次第に買物をしまくった。 秋冬の服とか、靴とか、アクセサリーなど。クレジットカードの請求が来た時 はその封を切るのが怖くてドキドキしたほどだった。家に帰ればインターネッ トショッピング三昧である。本来ならば決済できないほどの金額の買物をして しまったのだが、貯金をおろすなどしてどうにか切り抜けた。
母の病状がある程度安定し、毎日見に行く必要がなくなった頃、またして もトラブルが発生する。祖母が老人保健施設で、ある特定の人物とモメている らしい。喧嘩のあげく「胸が苦しい、夜が眠れない。頭が狂いそうだ」と一日 叫んでいると、施設から連絡がはいったのだ。
で、施設長の先生が、祖母が元入院していた病院の主治医あてに紹介状を 書いてくれているので、家族の誰かがつきそって連れて行ってほしいというこ とだった。後日診察に連れて行ったが、どうも痴呆症状が出ているらしく、被 害妄想とか恐怖感がひどいとのこと。そういえば、入院する前から祖母はかな り攻撃性が強くなっており、母と家で喧嘩をよくしていた。それに、私にも、 やたら人の悪口をしつこく言うようになっていた。あれは、痴呆によるものな のだろうか?
この件は後に神経科で薬を処方してもらうことによりほぼ解決したが、そ の時はもうどうしていいかわからず、いっそのこと祖母を道連れに無理心中し てやろうかと思ってしまった。
で、またしても「希死念慮」が起きてきた(今度は祖母を道連れにするという、 「殺人」までも)ので、これまた神経科に駆けこむ。ずいぶん時間のかかる カウンセリングであったが、どうにか「死ぬ」という気持は消えてくれた。
9月の下旬には、施設にいる祖母を連れて病院にいる母の見舞いに行くこ とができた。しかし、祖母はその後もトラブルを起こし続けたのであった。
下旬に行われた演奏会は盛況で、バイオリニストは大変見事な演奏を披露 してくれた。彼女をサポートして来た身には、とても嬉しかった。
彼女からは、これからも室内楽の演奏を一緒にやってほしいと頼まれ、 「音楽療法」はさらに続くことになる。
$Id: zuhaus6.html,v 1.1 1999/03/17 08:32:02 malte Exp malte $
Author: Kyoko Rikitake
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