Rekonvaleszenz 自宅療養記

1998年10月: 健忘極まれれり / ニュース断ち / 母退院 / 生きがいの喪 失と鬱 / 鬱病のリハビリ、それは甘えとの闘い / 主治医と大学 執行部の面談 / 音楽によるインスピレーション


健忘極まれれり / ニュース断ち

入院中の母は個室に移り、かなり状態が落ちついたが、別の老人保健施設 にいる祖母の状態がよろしくない。特定の入所者とトラブルを繰り返し、その 度に気を失ったり、食事がとれなくなったりするようになった。

私のほうはといえば、もう健忘極まれりという状態。

銀行でキャッシュカードを置き忘れて、電話が入ったり、中華料理店に一 人で入って、二人ぶんの注文をしたり(中華料理屋にはいつも夫と一緒に行く ので)、かかっている病院の診察券入れに、他の病院の診察券を入れたり(しか し、それでもちゃんとカルテがまわっていたので驚いた。)、頭が全然まわら ない状態にあったようだ。

たぶん、かなり疲れていたのと、その上睡眠薬を多めに服用していたこと が災いしたのだろう。

いずれにせよ、もっと睡眠薬を減らさないと復職しても失敗ばかりやって しまうことは間違いなし。

自分の身内をめぐることがらだけでも頭がいっぱいの時期に、また世間は あの和歌山のカレー事件の容疑者逮捕のニュースで騒がしい。ある日ニュース を見ていたら、イライラして、スイッチを切ってしまった。何てうるさい報道 なんだろう。推測に基く詮策や、容疑者の過去の言動への言及など、どうでも よい。きちんと法廷で裁けばいいのであって、ワイドショー化したテレビや新 聞雑誌のおつきあいなんてしていられない。

で、しばらくニュース断ち。午後7時のニュースだけを見て、あとは天気予 報とか、ドキュメンタリーものとか、自然や動物の生態を記録したものなどの 番組以外は見ないことにした。

母退院 / 生きがいの喪失と鬱

10月上旬、ようやく母が退院した。やはり病気の原因は不明のままである。 その母を、別の病院(私が入院していたところ)の神経科に連れて行った。もと もと彼女も私の主治医の世話になっていたからだ。

いろいろ話をした結果、母の突然の入院の原因はやはり鬱にあるらしいこ とがわかった。確かに最初の症状はものが食べられないという急性胃腸炎であっ たが、その根底にあったのは、「親(つまり私からすれば祖母)を一時的にせよ、 老人保健施設に預け、一人ぼっちになってしまった。また、かまったり、介護 する相手がいなくなり、ポッカリを心に穴があいたようで、この先、こんな寂 しい人生しか残されていないのか」という思いが、一気に鬱を悪化させたのだ ろう、という解釈がなされた。

老人が鬱病になるというのは理解に難くない。やることがない、社会にも はや貢献できない、そういう思いがだんだん心を蝕んでゆく。要するに生きが いの喪失が彼らを鬱にするのだと思う。

鬱病のリハビリ、それは甘えとの闘い / 主治医と大学 執行部の面談 /

ちょうどこの頃、ネットで自殺宣言をして未遂を起すという事件が頻発し た。私は、自殺はするものであって、「することを公言する」ものではないと 思っている。だから、私は入院中、「死にたい」などと言った記憶はない。そ れは私が本気だったからである。薬やカウンセリングで充分にケアされ、入院 中は希死念慮はほとんど起きなかったが、退院してから、時々切羽づまって死 にたくなったことは事実だ。

「死にます」と予告することは、「助けてくれ」と同義だと私は思ってい る。だから、私も自宅療養が辛くなるにつれ、主治医に、「いっそのこと死ん だほうがずっとマシです」と何度か言ったことがある。それは死にたいからで はない。それほど辛いということをわかってほしかったからだ。

思いおこすに、入院中も、主治医の、あるいは看護婦さんの注意をひくた めに派手に苦痛を訴えたことがある。(いや、本当にそれほど強い苦痛だった のだが。)

ある時、どういうわけか腹痛と背中の痛みがひどく、とうとう動けなくなって しまった。ベットから降りることも寝返りを打つこともできなくなった。少々 の痛みならば、痛みが去るまでじっと耐えているのだが、その時は本当に死ぬ かと思うほど痛みが強く、ナースコールをした。主治医は外来診察の真最中であっ た。が、病棟からの連絡ですっとんで来てくれた。すぐ血液検査が行なわれ、 アミラーゼ値が異常に高いことがわかり、膵臓炎が疑われた。そして絶食、点 滴。(後に検査の結果膵臓は無事と判明。)

この時に「そうか、思いっきり症状が重いことを訴えれば、主治医は外来診 察も放りだして、すっとんで来てくれるのか。」という甘えた考えを持ってし まった。

しばらくしてまた同じ激痛に悩まされたが、その時は思い留まった。騒げ ばかまってもらえるとわかっていたけれど、その時はナースコールをして頓服 薬を持って来てもらうにとどめ、夕方主治医が回診に来た時に痛みのことを言っ た。再度血液検査が行なわれ、またアミラーゼ値異常がでたが、すでにその時 には腹部CT検査で、たぶん膵臓炎ではないだろうと予想されていたのであまり 慌てなかった。でも、心の底では大騒ぎをして、またかまってもらいたい、と いう願望があったことは否定できない。

入院期間中は、そういう甘えとの戦いであった。騒げば相手にしてもらえる。 鬱がひどくて苦しくてたまらない時は「もう死にたい」と言えばいいのである。

この「仕組」を理解してからは、非常に人に甘えたい気分になると「死ん だほうがまし」を連発しそうになったが、どうにか、そういう甘ったれた態度 を押し留めることができた。人に甘えていては社会復帰も治癒もない。自分で 自分の鬱と向きあい、対処せねばならぬ、そう自分に言い聞かせる毎日であっ た。

急に職場復帰を延期したこの季節、「自分はもうだめである。死んだほう がましだ。でもその辛さをわかってもらいたい。」という甘えがひどく強くな り、たまらない思いをしたものだった。

この月の末に主治医と私の勤務先の大学の所属部署の長と、講座主任、事 務長、そして夫と私との間で面談が行われ、なぜ休職を延さねばならないかと いうことを主治医に説明していただいた。要するに、まだ体力は回復していない し、精神的にも脆いままだったのである。

音楽によるインスピレーション

たまには外出を、ということもあって、月末にオーギュスタン・デュメイ とマリア・ジョアン・ピリスのジョイントコンサートを大阪市内まで聴きに行っ た。音楽会など何年ぶりだろう? 学生時代は月に10回ぐらい行くことも稀では なかったのに。

私はこの二人の演奏に、火花の散るような強烈なインスピレーションを感 じた。もっともすべての曲が私の気に入る演奏であったわけではないが、精神 的に大きな刺激となった。そう、鬱病にかかっていた数年の間、私は完全に音 楽にも興味を失っていたのである。聞いてもあまり感じるものがなかったのだ が、この演奏会でははっきりと精神的刺激を感じた。これは鬱が良くなってい る証拠だと思う。

その後私は神戸在住のバイオリニストと、体調のゆるす範囲で、デュオを 組み、練習を続けるようになった。まだまだ手持ちの曲は少ないが、ブラーム スのバイオリンソナタやベートーヴェンの「春」、「クロイツェル」など、と ても一人では練習する気にはなれないような手ごたえのある作品に積極的に取 り組むようになった。ピアノ演奏には十年以上のブランクがあり、指は動かな いし、容易に弾き進まないのだが、音楽に身を任せる時、言いようのない幸福 感に包まれるようになった。


$Id: zuhaus7.html,v 1.1 1999/04/17 13:26:06 malte Exp malte $

Author: Kyoko Rikitake <malte@k2r.org>
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