今日は話の筋がちょっとよじれてます。まず文法の話の嫌いな人は以下の 数パラグラフを読みとばしてください。
「未来形」を教える時、私は必ず、「未来形」は何を表現できるか教えます。
未来形で「未来のことを表現する」とは絶対に言いません。我々のうちの 誰かが預言者ならばともかく、とにかく未来は永劫に未来であって、未来につ いて予測したり、 未来、つまりこれからやりたいことを表現することはでき てもそれを言いあてることはできません。
つまり未来とは刻々と生成されて消化されてゆく「現在」の連続において実現され、 実現されたときにはすでに未来でなくなっているわけです。
ですから、文法上の未来形はこうしたいという意志や、こうなるだろうという 推測を表現できるだけでなく、すでに起きていることを想像すること、つまり 過去について想念をはせる時にも使えるのです。
ドイツ語でも英語でも(たぶんフランス語でも)「明日までに私はその仕事 を終えているでしょう」(未来完了形)という意味にも使えれば、「彼はもう雪 山で遭難して死んでいるのだろう」(これも未来完了形で)などと言うことが可 能なわけです。現存しないが想定される「仮想の」未来の一点において実現さ れているかもしれないことを言うのに未来完了形は使えると言えると思います。
結論として「未来」そのものはない。ただ現在の延長として存在するか、、 あるいは文法上の「未来形」というテンスでは先のことだけでなく、確認され ていない過去のことを推測するにも使えるとしか言いようがありません。
いきなり屁理屈になってしまって失礼致しました。どうしても私はfutur(未来形) という時制(テンス)について話すとき、上のような話をしてしまうのです。
さて、話は一転して、きわめて現実的なお話です。
国立大学が独立法人化すると、特別国家公務員という我々のステイタスはなくなり ます。単なる独立法人の社員であって、もはや国家公務員ではない、だから給与 規定も賞与や昇給、さらに休職などに関する規定もその法人ごとに決められ、現今 のように国家公務員法に基くものではなくなると予想されます。(はい、ここで 「未来」を「予想」しています。)
となると人減らしの必要な今後、我々大学教員もリストラの対象たり得ると私 は想像しています。このことを知った時の私のショックはただ事ではありません でした。
すっかり鬱な状態になって、ああ、3年も休職し、うつ病が進行していた期間 約6年間研究業績の全くなかった私など、査定されれば最初にリストラされるな、 と思いました。いえ、今でも本気でそう思っています。
最新メディアを言語教育に取りいれる試みを追及しようとしていた私は、 ある意味で完全に研究テーマを失いました。新しいテクノロジーが秒速いくら で開発されている近年における3年間のブランクはあまりにも大きすぎます。 しかし言語教育をどのように改善するかということに対する興味と熱意には 変りはありません。
そこで新しい分野を見まわした結果、「認知論」に行きあたりました。認 知心理学ならば、もう長い伝統とさまざまな実績があるのですが、私が研究し ようとしている「認知言語学」はまだ新しい分野のようで、最近の認知言語学 の論集を見ていたら、「認知言語学の言語教育への適用はまだ行なわれていな い」などという意味のことが書いてあるではないですか。
私自身今あれこれと書物を読み、論集なども集めているのですが、まだどういう ふうに研究テーマとして発展させるかということが定まっていません。
とりあえず昨年9月には、コミュニケーション中心の言語教育に「認知的」 アプローチを導入する実験について論文を一点書きました。(すでに校了して いるので今年3月までには公刊されるはずです。)
しかし、いかんせん、勤務先の大学が独立法人化されるまでに積むだけ業 績を積んでも過去5年間に遡及される審査ではとうてい生き残れそうにありま せん。ああ、私はクビになってしまうのか、と思った途端、何をどうやっても もう仕方がないという非常に消極的な気分になってしまいました。昨年暮はずっ とこの問題で鬱状態に陥っていました。
いずれにせよ、上記の問題はまだ「未来」の問題であります。
さて、かなり重鬱状態に落ちて病院に行きました。そこで上記の心情を 主治医に語ると、意外なことを言われました。
未来は決して現存するものではなく、我々が現在を生きて行く上での目 標である
つまり「未来」の何らかの目標に向かって現在努力することが何よりも大事なの であって、たとえば復職するためのリハビリについて考えてみると、「復職」という 未来の目標があるからこそ患者は現在において苦しいリハビリの訓練に耐える ことができるのだ、というのです。
それゆえ未来について案じるのはあまり意味がない。結果的にどうなろうと、とに かく現在において努力を重ねるしか方法はない。
リストラに怯えて勉強しなくなったのでは、一応教育者であり研究者である私の 存在理由がなくなってしまいます。私にはこのレゾン・デートルの喪失ほど怖い ものはありません。
何かを為せば、将来にその実りがやって来るということを確信していなければ、 本当に何をする気にもなれません。
だから、今私にできることは、新しい分野で苦労が多くても、ひたすら勉強し、 学ぶことと、教育において実力を発揮することなのです。教育は私自身が大好き なことであり、実績をあげることにある程度自信があります。
いきなり鬱病で3年以上の休職から復帰して私を待っていたのは、大変厳しい 現実でした。
生き残れるかどうかわからないけれども、とにかく研究者としても教育者としても しっかり仕事をするしか、私が「未来」に希望をつなげる方法はありません。
確かに坂本龍一氏の発言にもあったように、 苦労の先に希望が見えているならば人は困難を克服できるけれども、先が見え ない時は非常に苦しむか脱落してしまうのだと思います。
はっきり言って、私の場合希望が抱ける状態ではないけれども、しかし試合を 投げずにとにかく参加することによってひとつひとつ駒を進めてゆくしかあり ません。
日本が、そして世界が平和をおびやかされ、なかなか希望を持てない現今ですが、 とにかく一年の計は元旦にあり、とするならば、私は敗者復活をめざして勉強 し、教育と研究の双方で自分で納得できる成果をあげようと決心するのであります。
上記の決意を仮にドイツ語で書くとすれば、やはり話者の意志を示す「未来形」 ということになります。
というわけで、わかりにくい話におつきあいいただき、ありがとうございました。
おお、もう眠前薬服用タイムであります。おやすみなさい。
Author: Kyoko Rikitake
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