"Die Welt" の 今日の記事から.
ドイツの旅行業者連盟がアメリカで行なった会議で,サイバースペースで の観光旅行などバーチャルな旅が楽しめるシステムの実用化によってある種の 新しい休暇の過ごし方ができるかもしれないという話をした人がいた.
バーチャルな旅行であれば,づかづかと人間が貴重な自然に踏み込み,資 源をあらすこともなく,お茶の間で休暇気分になれるだろうという話のようだ.
が,従来の休暇にのかわりこのうようなサイバースーペース休暇を取り入 れることは,現技術段階では不可能だと発表者はちゃんとことわっている.
コンピュータ技術は,旅の生きた感覚をシミュレートすることはできない.至って当たり前のことを言っているのだが,バーチャル経験というと視聴覚 (主として視覚)に依存したものがほとんどだ.
自然の事物にじかに触れ,その匂いをかぎ,食し,自然の一部となっては じめて休暇旅行の楽しみは味わえるのだ.
お茶の間で世界旅行をシミュレートすることは可能になるだろう.しかし, それでもって休暇に行った気分になるのはとんでもない.サイバー旅行は 休暇の過ごし方の一つとして,いわば映画を見たり,コンサートに行くような レベルでの休暇の過ごし方にはなり得ても,実際に休暇に出かけることの代償 にはなり得ない.たぶんどんなに技術が進歩しても.
この辺,簡単なことだが取り違えることが多い.
外国語の学習ソフトで,外国経験をシミュレートすることは可能だが,そ れは決して実体験ではない.そんなもので実体験をした気になってもらっては 困るのだ.
ただひとつ私が恐れるのは,現実と仮想現実のギャップ.子供のころから こうやって世界中をバーチャルにめぐり歩いて育った子供がいたとする.その 子がバーチャルにしか知らなかった町をはじめて実際に訪れたとする.その町 はその子供にとっては「すでに知っているもの」(デジャヴュ)として目の前に 現れるだろう.しかしその「すでに知っているもの」は視聴覚だけによるもの であり,決して現実ではない.
バーチャル現実と本物の現実とのギャップがわからなくなる人間が増える のではないか.変な表現ですね.(ちょっと考えがまとまらないな.)
私は特定できないデジャブュが蓄積されることを好まない人間であります. 「どこかで見たような?」という気がして意識の中を一生懸命検索するけれど も,それがどこの何だったか特定できないとものすごくストレスを感じる性分 なのです.