今、我が家のインターネットは [3-Jan-1999]


私がホームページを作りはじめた目的は、ホームページを作る練習をする ことそのものだった。日記を掲載しようとか、コラムを書いてみようとか、要 するに個人的な生活を公開するという意図は全くなかった。ただ、HTMLを理解 し、試行錯誤しながら、情報発信をしてみよう、という単純な動機からであっ た。だから、一番古い「マルテの日記」を 見ていただければおわかりになると思うが、ホームページを作るのにどんな苦 労をしたか、そしてホームページを通してどんな出会いや発見、苦労があった かということをいわば「作業日誌」的に書き綴っているうちに、何となく「日 記」のような体裁になってしまったのである。

自分勝手に「今日の作業、今日の見聞」などを喋り散らしているうちに、 いつの間にかリンクが張られ、次第にアクセスが増え、ずいぶんとたくさんの 人々とめぐりあうことになった。それはそれで大変楽しく、有意義な経験であっ た。

その反面、インターネットの世界に繰り広げられるバトルやフレーミング にも遭遇したが、パソコン通信をやっていた私には、それは特別珍しいもので はなかった。ついでに言えば、先日の「ドクター・キリコ事件」にしても、マ スコミはやたら「インターネットによって毒物を売買した」ということについ て騒ぎたてていたが、それはたまたまインターネットが手段として使われただ けであり、手紙でも、交換日記でも、カルトでも、同じことが行なわれ得るし、 実際に行なわれているだろうと思う。なぜマスコミはインターネットを持ちあ げたり、叩いたり、やたら特別に騒ぎ立てたがるのだろう。ひょっとして マスコミはインターネットに脅威を感じているのであろうか。

それよりも、私がインターネットにおいて感じた不安では、個人のプライ バシーが本人の好むと好まざるに関係なく露出されることのほうがよほど問題 であった。不用意な発言をしたために、居るべき場所に居られなくなった人と か、人のプライバシーを公開ページでぶちまけたために、相手も自分も不幸な 目にあった人をたくさん見て来たからである。

ホームページを一番活用したのは、やはり自分の授業でにおいてである。 大学の授業が時間的に制約があり、資料なども紙で配布すると紛失することも あり、教材の提供と受講者との質疑応答などの手段として大いにホームページ を活用した。ただし、掲示板は使わなかったし、今後も使う気はない。特定メ ンバー以外の者がある程度アノニマスに書ける掲示板は正直いって怖い。

職場でもインターネットは急速に普及し、各種連絡はメールでなされ、い ろんなメーリングリストも作成された。また、職場以外でもメーリングリスト に参加するようになった。

自宅は96年以来、ごく僅かな期間を除き、常時接続であるので、職場に来 るメールも自宅で読み、返信するようになった。

しかし便利なメディアも過度に依存すると危険である。私はどっぷりイン ターネットに漬かり、一日のほとんどをコンピュータの前で過ごすようになっ た。(IRCにはまらなかったことだけは、不幸中の幸いだったと思っている。) そうしているうちにだんだんストレスがたまるようになって来たのである。職 場を自宅に持ちこんでしまった形になると同時に、自分の発言に対するさまざま な反響に対応するのに追われ続けた。

あまりにもメールのトラフィックが多いと自宅にいても家事すら怠るよう になり、さらにホームページ作りに時間を食われて、ますます時間がなくなっ て行った。そろそろ「インターネット中毒」して来たのである。

ところが、だんだん気力、体力が衰え、ホームページの更新どころでなく なって来たのは、過去のページを見ていただければおわかりかと思う。すでに 「鬱病」が進行していたのだ。インターネットによるテクノストレスで鬱病に なったわけではない。すでにゆっくり発病しつつあった鬱病の進行にメールや ホームページによるストレスが拍車をかけたのだ。もちろん鬱病の原因はもっ と複雑で多くの要素をはらんでいるので、直接インターネットによるストレス と鬱病は結びつけないほうがいいかもしれない。

そして、1997年末には、入院することになり、4か月半にわたりネットから 離れた。退院後も大学のほうのホームページは閉鎖し、メールも大学あてのも のは自宅に転送していない。(その辺の事情については 「暗い雲」のほうに書く予定。)

私は一旦自分とインターネットの関係を「リセット」したのである。一年 以上ホームページを凍結することによって、私は今後どのようにインターネッ トを活用するか、どうすればストレスの原因にならないか、ということを考え た。

そして今私はこんなインターネットの使いかたをしている。

まずデータの検索。これは以前もやっていたことだ。

次はより広い情報により多様な形で接すること。インターネットの帯域の 広がりにより、各地(もちろん海外を含む)の情報が単に文字としてだけでなく、 音声情報としても画像情報としても(まだ充分ではないが)リアルタイムでで入 手できるようになった。我が家では、カナダ、アメリカ、ドイツなどの放送を 24時間 RealAudio で聞くことができる。またVideo on Demand の形で海外 サイトの番組をダウンロードして見ることもできる。昨年のドイツの選挙の折 も、ずいぶん Deutsche Welle のニュースを利用したものだ。シュレーダー氏 を取材したビデオ番組なども見ることができた。

今や我が家では、インターネットは、より広い選択肢の中から、自分の望 むところの情報を、あまり帯域(バンドウイズ)の制約を受けずに亨受できるの だ。

プライバシーをめぐる問題や「レスポンスの速すぎるメディア」の問題ゆ え、今ではインターネットの利用はきわめて控え目になっている。そのかわり、 以前よりはるかに内容ある情報を、よりリッチな形で受けとることができるよ うになったのだ。

今また「マルテの草子」だの「暗い雲」など新しいページを作って、再び 以前と同じ目にあわないか、という不安はない。たぶんもうのめりこむことは ないと思う。また休職中ゆえ、仕事を家に持ち帰ることにはならない。

インターネットは、自宅ではほとんどラジオでありテレビである。ほとん ど家電製品化している。たまにラジオの放送に投稿することもある。夫などカ ナダのCBCに毎週のように投稿し、読者の便りとして放送で読まれているほど だ。

ところで、本当のことを言うと私が再びホーページを開いたことには、別 の理由がある。文章を書く練習をすることだ。お読みになった方の中には、力 武京子は何と文章が下手なのだろう、と思われた方もあろうと思う。

うつ病にかかってから、私はひどく精神機能が低下した。一番それを端的 に表しているのが文章だ。入院当初などまともな文章が書けず、ノートには断 片的な記録しか残されていない。主治医との会話もきわめてレベルの低い表現 であったと思う。今もなお、整然と文章を書こうとすると頭痛がしたり、肩が 凝り、寝こんでしまうことがる。

話すほうも、日本語、ドイツ語ともにあまりきちんと表現できないことが 多い。たまに日本語でディスレクシア(日本語では「失読症」と訳すようだが、 私は、言わんとする単語や語順を間違えることをそう呼んでいる。)を起こす ことがある。

今、私にとって「書く」ということは、実際に「社会復帰」へのリハビリ でもあるのだ。

何だかこじつけがましいが、これは偽りのない本音である。

読み返してみると、本当にこの文章、首尾一貫していないというか、わけ がわからない。が、あえて1999年1月の記録として残しておく。きちんとした 文章が書けて、話しもうまくできるようになったらば、社会復帰の日も近いと 思う。

長々と駄文におつきあいいただき、ありがとうございました。


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Author: Kyoko Rikitake <malte@k2r.org>
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