コトバアレルギー? [9-Mar-1999]


いつの世においてもそうであるが、ある年齢になると、「今の若い人は」 と言いたくなるものだと思う。もう私もそういうコトバが口をついて出る年齢 だ。が、私が今イライラしているのは、「今の若い人は...」ではなく、「今 のインターネットのコトバは...」である。

だいたい、こんな崩れた口語調の駄文をせこせこ(鬱病のリハビリと称して) 公開の場所に書いている自分自身がすでに恥ずかしいのだが、それにしても、 インターネットの掲示板や日記などに見られるコトバにはアレルギー反応を示 しそうになるる。

別に立派な日本語(あるいは外国語)で書いてほしいと要求しているのでは ない。その人あるいはそのグループ内で通用するコトバで書いてもらって結構 である。むしろコトバ遊び的な要素があって、楽しめる掲示板なども存在する。 ただ、そこに私自身が入りこむ余地があるかどうかは別の問題だ。

いきなり<h1>で「ギャー」とか「キャー」と出てくると、ぎょっと する。ただし、普段はNetscapeでは見ないで、テキストブラウザの Lynx を使っ ているので、そういうのは見たくても見えないからいいのだが、「カキコ」し てね、と言われても何のことかわからぬ。過去ログを追ってみてはじめて意味 を理解する。「メアド」、「メル友」もちょっと戸惑った。

しかしよく考えてみると、私が戸惑いを感じ、いやな気分になるのは、そ のコトバ(用語)自身に原因があるとは言えないようだ。もちろん私の知らない コトバの世界に突っこんで、孤独を感じる(?)のも事実だが、インターネット においては、今や人と人の距離がうまく測れないところに問題の根源がありそ うな気がする。

つまり、現実社会なら、絶対にお互いに使わないようなコトバでもって、 掲示板や日記やゲストブックが運用されているところに私は違和感を感じる のだ。

一例をあげると、ある人が、遺書めいた文章を掲示板に残して自殺未遂を したとします。(そういう例はけっこうある。)すると、その人と会ったことも なければ、そもそも掲示板に書きこみすらしたことのなかった人が次々に出て きて、あたかも親友が死に瀕しているかのごとく取り乱しているのを目にしま す。そして猛烈に掲示板が騒がしくなります。お互い面識がなくても、そこま で連帯感(?)あるいはシンパシーを持ってしまうところが何となく怖い。

これは、だいぶ昔の話だが、うちの大学にいらっしゃる予定であったさる べきドイツ人からはじめてメールをもらった時に、二人称が "Du" (教科書的 に説明すると、親しい人や家族、学生同士などで使われる「親称」)で書かれ ていたので、かなりびっくりした。えっ、会ったこともないのに、お友達?

確かにドイツのメーリングリストを見ていると、おたがい "Du" を使うこ とが多いようだが、これが実際に会って話をする相手だったらどうだろう? 私 なら、やはり丁寧なほうの "Sie" (敬称)を使いますね。

と、ここまで書いて、私もすでにドイツ語の世界において「古い世代」に 属するということに気づきました。今のドイツでは、私が暮していた頃より 親称が一般的になっているような気もします。この点、最近10年以上ドイツに 行っていないので、何とも判断できません。

メールを交換する相手にどういうコトバで話すかによって、かなり互いの 距離がわかるような気がするのですが、誰かれなしに、「カキコ」して、とか 「メルアドおしえて」とはとても言えません。そういう馴々しいコトバを使う 人とはじめて実際に会った時も、不思議な違和感を感じてしまいます。

ああ、やっぱり私は「古い世代」なんでしょう。 「P友しませんか」ってメッセージがPHSに入っただけで狼狽するくらいだから。


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Author: Kyoko Rikitake <malte@k2r.org>
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